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みのり、ローカル線の活性化について学ぶ。

三連休初日、雨でげんなり。
みのりです(`・ω・´)ゞ

さて、先日のひたちなか海浜鉄道の吉田千秋社長との対談で得たことを紹介します。
吉田社長の考えにみのりなりの考え方や提案を足したものになりますことを予めご了承ください。

吉田社長は富山地方鉄道、加能越鉄道を経て、廃線の危機にあった富山県高岡市の万葉線の再生に尽力されました。
その実績が認められ、茨城交通湊線を引き継ぐ第三セクター会社ひたちなか海浜鉄道の社長に一般公募の中から選ばれ、就任しました。
茨城県下でも鹿島鉄道や日立電鉄が廃線となった中、何故ひたちなか海浜鉄道は存続することができたのか?
また、ひたちなか海浜鉄道は他のローカル線にはない何度も訪れたくなる魅力があり、そのことについて学ぼうとインタビューさせてもらいました。

ひたちなか海浜鉄道はかつて、茨城交通湊線でした。
しかし、2005年12月に茨城交通はひたちなか市に対して、赤字で経営状況が厳しいため2008年3月で廃線にする意向を提示。
ひたちなか市の財政支援や地域の方々の熱心な存続運動の結果、第三セクター会社として存続することになり、2008年4月1日にひたちなか海浜鉄道として生まれ変わりました。
普通の存続運動ならそれで終わりなのかもしれません。
ですが、ひたちなかの場合はそれで終わらず、現在もおらが湊鐵道応援団やひたちなか商工会議所、地域の方々が鉄道やまちの活性化に取り組んでいます。

よく、地方ローカル線が赤字で経営が厳しくなると「ローカル線とは言えど民間企業なのだから経営努力をするのは当たり前だ」という人がいますが、ならば「じゃあ収益改善の見込みがないから廃止にするわ」となるのも当然だと思います。
地方ローカル線はその地域の人々のためのものです。
ならばその地域に住む人々が主導となって働きかけなければ存続はあり得ません。
存続したローカル線と廃止になったローカル線にはそこに大きな違いがあります。
まずは地域に住む人々がローカル線を守る一員であるという自覚を持つこと。
そして動きださなければ現状は打破できません。
粟生線活性化協議会が粟生線サポーターズくらぶを開設して会員を募集したり、「月に1回でも多く乗車しよう」と呼びかけているのはそういうことにあると思います。
吉田社長は会員数は問題ではないと言っていましたが、意識を持つという意味でも粟生線サポーターズくらぶに入会するのはとても良いことだと思います。
そして月に1回でも多く、お出かけに粟生線を利用してみてください。
友達や家族を巻き込むのも良いことだと思います。
みのりの家族にも半ば強引に粟生線サポーターズくらぶに入会してもらいましたが、以前は車で三宮に行っていた母も最近では「粟生線~三宮お得きっぷ」を使って粟生線で出かけるようになりました。

みのりのことを「三木市のご当地アイドルなのに、市外に出かけるのを促進するのは変だ」と思ってる方もいらっしゃるとは思います。
けれども市内の移動に粟生線を利用することには限界があると思い、敢えて粟生線の利用促進として市外へのお出かけに粟生線の利用を推進しています。
神戸電鉄自体も神戸や大阪、京都へのお出かけなどにお得な企画乗車券も発売してますしね。
ちなみに、市の広報誌に毎月オススメ切符の紹介が載っていますが、あれも良い取り組みの一つであると吉田社長もおっしゃってました。
ほとんど粟生線に乗ったことがない人でも「お出かけが楽しかったからまた利用しよう」と思ってもらえることが第一歩だと思います。

ですが、移動手段としての鉄道は現代社会では限界があると思います。
だからこそ、次の段階として「乗ることが目的になる鉄道」を提案していきたいと思ってます。
よく神戸電鉄のことを「車両がボロい」や「20年以上も駅の風景が変わってない」などと言う人がいますが、それは考え方を変えれば魅力の一つになり得るのです。
今どき木造の駅舎に昭和50年代を彷彿とさせられる電車が走っているまちなんて、そうありませんよ。
千葉県のいすみ鉄道も存続の危機に陥り、2年間の存続検証期間中に敢えて国鉄形気動車キハ52を導入し、「ここにはなにもありませんが、昭和はあります」ということを売りにしたところ、首都圏から1時間程度というアクセスの良さも手伝い、休日には多くの観光客が訪れるようになり、存続が決定しました。
粟生線にもその可能性はあるのではないのでしょうか。
全線複線化や三宮への乗り入れを提唱する人もいますが、ないものねだりではなく、今あるものを生かすことの方が大切だと思います。
そして、三木城跡やナメラ商店街、金物資料館にも足を運んでもらえることが私の願いです。
そのためには、市外から粟生線を利用して訪れた人がお店で乗車証明書を見せるとサービスが受けられる制度があると良いかもしれません。

今年の3月31日、十和田観光電鉄と長野電鉄屋代線が廃線となりました。
しかし、数か月も経たないうちに沿線住民は後悔しはじめたらしいです。
ならば何故、存続させようとしなかったのか。
いくら鉄道会社や行政が危機感を募らせても、実際に廃線となったまちの実情を見せつけられなければ、自分は関係ないと思っている地域の人々の気持ちを動かすことは出来ないからだと思います。
粟生線がそうならないようにするためには、抽象的な例ではなく、もっと具体的な例を地域の人々に見せることが必要であると私は思います。

私は三木市生まれではありませんし、神戸電鉄と三木鉄道が好きだからという理由で鉄子を名乗りはじめただけで、一般的な鉄道ファンの方の知識の10分の1もないと思います。
ですが、吉田社長は「そんなことを言ったらおらが湊鐵道応援団で活動している方も茨城出身でない方が多いですし、RACDA高岡の方も鉄道関係の仕事をしている人でもなければ鉄道ファンですらない方だっている。やろうと思う気さえあれば、誰にだって出来る」とおっしゃって下さいました。

仮に存続が決定したところで、ローカル線の活性化には終わりはありません。
今も、オーディションに合格する前から活動していたこと、そしてこれからしようと思ってることを一歩踏み出したに過ぎません。
ですが、ローカル線巡りで見てきたことやその地域のみなさんの助言を元に、粟生線の活性化に繋げていけたらと思います。

アポを取っていなかったのにも関わらず、熱心にみのりのお話を聞いてくださり、助言をくださった吉田社長、本当にありがとうございました。

以上、みのりがお送りしました(`・ω・´)ゞ

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