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みのりと1月17日。

仕事が忙しい時に機械の調子が悪いと泣きそうになりますね!
みのりです(`;ω;´)ゞ

今日は1月17日。
18年前の1995年1月17日5時46分、兵庫県南部を震源としたM7.3の阪神・淡路大震災が発生した日であります。
3年前は丁度休日だったので、東遊園地で毎年行われている追悼行事に参加しました。
募金をしてろうそくをいただき、ろうそくが溶けてしまった灯篭の中に入れて火を灯して追悼の時間を待っていました。
すると、「どなたか亡くされたのですか?」とおばあさまに声を掛けられました。
お話を聞くと神戸で生まれ、岐阜に嫁いだ方だそうで、震災直後テレビに映し出された神戸のまちを見た時、神戸大空襲で焼け野原になってしまった神戸のまちを思い出したそうです。
午後5時46分の追悼が終わると岐阜に帰られましたが、「この追悼行事も、いつまで行われるんでしょうね」と去り際に残された言葉が印象的でした。
神戸大空襲も今ではほとんど忘れ去られている。
いつか震災も追悼行事が行われなくなったら、人々の記憶から消えてしまう。
そんなことを危惧されていたのだと思います。
そして2011年3月11日、東日本大震災。
今はまだその記憶も新しいため、阪神・淡路大震災の記憶も思い出している人が多いと思います。
けれども神戸は震災を知らない市民が4割を超えており、風化が懸念されています。
18年前とはいえ、実際にはっきりとした記憶があるのは23歳以上だと思います。
実際に経験はしていなくとも、記憶を語り継ぐことが、あの震災を記憶し、生きている私たちの役目ではないかと思うのです。

3年前の追悼行事の帰り、山に浮かぶ「KOBE2010」の文字を見ながら、そう思ったのでした。

あと、1月17日は三木市民にとってある重要な日なのです。

三木城主である別所長治公の命日であります。

長治は、羽柴(のちの豊臣)秀吉による「三木の干し殺し」に遭い、城兵達の命を助けることと引き替えに妻子兄弟と共に自害しました。

「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」の辞世の句は三木市民ならご存知ですよね?

ちなみに、この首塚があるのは「雲龍寺」というお寺なのですが、命日の1月17日には法要が営まれ、飢餓に喘いだ城兵が藁をも食べたという言い伝えにちなんで藁に見立てたうどんが振る舞われるんだそうです。

みのりが行ったのは仕事上がりの5時過ぎだったので、もう終わってしまった後だったんですけどね。

写真を撮っていると声をかけてきてくださった方がいて話を聞いたのですが、みのりが来る前に首塚の前で茣蓙を敷いて裸足で拝んでいるおばあさんがいたそうです。
「今日はこの首塚に眠る長治公の命日なのですよ」と言うと、納得してらっしゃいました。
高校の時に「三木で長治をバカにすると殴られる」と日本史の教師に聞いたことはありましたが、今でも崇拝してらっしゃる方がいらっしゃるというのは長治の偉大さを思い知らされました。

☆みのりの神戸電鉄豆知識・粟生線の歴史その2☆
昭和13年1月28日、現在の三木駅まで開通した粟生線の前身である三木電気鉄道。
昭和22年1月9日に神戸有馬電気鉄道株式会社と合併し、神有三木電気鉄道株式会社となりました(昭和24年4月30日に神戸電気鉄道株式会社と再度社名変更します)。
同年12月1日、現在の小野市の住民の熱意と努力により、国鉄加古川線粟生駅と接続すべく、三木・粟生間の鉄道敷設の認可を受け、昭和25年12月に着工しました。
昭和26年12月28日、小野駅が営業開始。
翌年27年4月10日、粟生まで開通。
そのことにより、三木線の名称を廃止して粟生線となりました。
と、ここでみのりが大好きな美嚢川橋梁の昔の姿を大公開!
会社にあった写真をスキャンしてもらいました。
お仕事の合間を縫ってみのりのワガママに付き合って下さった方々、ありがとうございました。

現在大村にあるみのりの勤める会社ですが、かつては末広にありました。
手前に写っている3階建ての建物が当時の会社です。
今は結婚式場がある場所ですね。
左奥手前に写ってるのが美嚢川橋梁です。

何故かアップの写真もありました。
昔の橋梁って、こんな簡素な造りだったのですね。

航空写真もありましたよ!
空から見る美嚢川橋梁もなかなか良いですね。
歴史的にも貴重な写真、本当にありがとうございました。

以上、みのりがお送りしました(`・ω・´)ゞ

みのりの個人ブログ

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2 Comments

    • wagashiya
    • 2013年1月23日

    よく勉強してますね^^

    • みのり
    • 2013年1月26日

    ふふふ、みのりは小中学校だけでなく、高校でも三木市の歴史を授業で勉強したのですよ。
    勉強会のレポを書くタイミングを逃したので、長治公の命日には絶対に書くと決めていたのです。
    あ、今日お店にお邪魔しました^^

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