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みのり☆三木鉄道の車両、その後。

三木鉄道。
それは1916年に播州鉄道として開業、播丹鉄道になったのち国有化され、1985年に第三セクターとして再出発した鉄道でした。

しかし、2008年3月31日、92年の歴史に幕を下ろしました。

その後、車両たちはどうなったでしょうか。
みのりと一緒にその後を追ってみましょう。

・北条鉄道(ミキ300-104→フラワ2000-3)
ミキ300-104は北条鉄道が購入し、2008年12月8日に旅立ちました。

塗装はそのまま、車両番号が「フラワ2000-3」に変更され、2009年4月5日から営業運転を開始しました。

2012年3月20日からは新塗装で運行されています。

かつて三木鉄道と同じ播州鉄道として開業した路線として、これからも住民の足として走り続けて欲しいです。

・樽見鉄道(ミキ300-105→ハイモ295-617)
ミキ300-105は樽見鉄道が真っ先に購入し、輸送費節約のため、北条鉄道への搬出の翌日2008年12月9日に旅立ちました。

この社章と車両番号もこれで見納め。

「ありがとう」「元気でね」「いってらっしゃい」「頑張ってね」。
出発の時、見送る人々の口からは自然とそのような言葉が発せられていました。

バイバイ、ミキ。
新天地でも頑張ってね。

そして2009年3月1日、「ハイモ295-617」と車両番号を改め、営業運行が開始されました。
側面にラッピング広告が入りましたが、基本の塗装はそのままです。

樽見鉄道初のセミクロスシートとあって、行楽シーズンには大活躍しています。
春のお花見シーズンには特別ダイヤ「桜ダイヤ」で運行され、重連運転も見ることが出来ますよ。

あとで気が付いたことですが、樽見鉄道の始発駅である大垣市の市花は「さつき」。
そして東大垣駅を出て渡るのが「揖斐川」。
三木鉄道の塗装であるピンクとブルーのラインはそれぞれ、三木市の市花である「さつき」と「美嚢川」をイメージした色なのですが、偶然にもそれが樽見鉄道にも当てはまっていることに驚いたと共に、車両の売却が決まった時から、この車両はここに来る運命だったのかなぁと思いました。
たとえ塗装が変わってしまっても、この地での第二の人生を全うして欲しいです。

・ひたちなか海浜鉄道(ミキ300-103)
当初保存される目的で残されていた最後の1両。
売却されることになったと聞いたものの、2両が運び出された後も長い間車庫の中で眠っていました。

しかし、2009年6月3日に当初から入札に参加していたひたちなか海浜鉄道が購入することを発表。
売却価格は輸送費別の500万円でした。
そして6月9日に搬出作業が行われました。

この時は敷地内への立ち入りが許可されていたので、たくさんのカメラ愛好家の方が集まっていました。

クレーンで吊り上げられて、線路を走る台車から道路を走るための台車に移し替えられます。

移し替えられた後は駅舎の前まで移動し、夜の出発の時を待ちます。

ちなみに、3両とも輸送を行ったのは、JR貨物・北陸ロジスティクスさんです。

素人のみのりに詳しく教えてくださり、とても参考になりました。
でも輸送費は企業秘密とのことで教えてもらえませんでした。

そして出発の時。

長距離のため高速道路を走るのか、国道175号線を北へと向かって行くのを見送ったのが最後の姿となりました。
8月某日、営業運転開始が待てなかったみのりは、茨城観光のついでにひたちなか海浜鉄道那珂湊駅に立ち寄りました。

待合室にはミキ300-103を歓迎するコーナーが。

車庫でミキを発見しましたが、既に試運転はされていたようで、行先表示は変わってました。

そして8月30日に塗装も車両番号もそのままで営業運転が開始されました。

出発式でミキに着けられたサボ、「三木-ひたちなか」を見た時、最後の車両が国外に行かずにひたちなかに来て、本当に良かったと思いました。

ここには三木市にはなかった海があります。
そして旧型気動車が現役で走っています。

でも何故かもう何年も前からここで走っていたかのようにこの場所に馴染んでいます。

先日、ひたちなか海浜鉄道にお邪魔した際、初めて吉田社長と対談することが出来、三木鉄道の車両に関するお話も聞けました。
丁度2両欲しかったところに、三木鉄道の最後の1両が売却されることになった話を聞き、色々あって購入することになったそうです。
そして、廃線から1年以上経っていたのに関わらず、ちゃんと車両が整備されていたことに驚いたとおっしゃっていました。
あまりご存知でない方もいらっしゃるかもしれませんが、このような車両は数か月もエンジンをかけないと動かなくなってしまうのです。

でもみのりも知ってました。
車庫に入ったままだった車両をこまめに動かしていたことを。
最後の車両を運び出す時、北陸ロジスティクスの方もおっしゃってました。
もう車両が走ることはないはずの線路なのに、ポイントにちゃんと油がさしてあったおかげで、作業がスムーズに出来たと。
当初の予定ならば静態保存されるはずだったので、もう二度と動かすことはなかったはず。
けれども車両を整備し続けてたのは、三木鉄道の方の鉄道マンとしての意地が感じられました。
三木市とは縁もゆかりもないひたちなか市に嫁いだのに、車両番号がそのままなのはそういう意図があってのことなのかもしれないと思いました。

軽快気動車は従来の気動車と比べて安価な代わりに耐久年数が短いのが宿命です。
ですが、最後の最後まで、三木鉄道の方の意思を引き継いで走り続けて欲しいと願います。

最後に現在の三木鉄道三木駅について紹介します。
三木駅の跡地は三木鉄道記念公園として整備され、駅舎は移築され「三木鉄道ふれあい館」として三木鉄道に関する資料が展示されています。

また、車庫はMIKI夢ステーションになっており、地産の野菜や食材が販売されていたり、えぷろん三木による喫茶店も営まれています。

駅舎前の桜の木は移築の際に伐採されてしまいましたが、駐車場の桜の木々はそのまま残っています。
みなさんも是非、訪れてみてくださいね。

写真提供
大鉄さま
H・Tさま
船越知弘さま
ご協力、ありがとうございました。

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